とっちゅーブログ

独立起業を目指すブログ

一つの目標 木のおもちゃ屋

おもちゃの販売方法について、今の考えを残しておきます。

私には、いわゆる『木のおもちゃ屋』を応援したい気持ちがあります。

代表例でいえば、ネフ社とかデュシマ社とか、スイスやドイツ、その他欧州のおもちゃを多く取り扱っているお店です。

私の住む地域には、木のおもちゃ屋に恵まれており、気軽にいける距離に2店舗あります。

どちらも初めて入ったとき、『うわー^^!』(←語彙力低)ってなるおもちゃ屋です。

でもお店に行く度、思うのです。

「儲かってんのかな、大丈夫かな」と。

おもちゃの販売以外にも、講座をやったりしているので、私の心配なんてきっといらないのでしょうけど。

 

その『木のおもちゃ屋』に自分の作ったおもちゃを置いてもらいたい。そう思っています。ネットでも販売しますが、店舗の方がお買い得に買ってもらえるようにしたいと思います。

そうすることで、お店に訪れ直接見て触って買ってほしい、他の素晴らしいおもちゃにも出会ってほしい、お店の素晴らしい考え方に触れてほしい、そうすることで良い教育を受ける子供たちが増えていく。私の影響力なんてたかがしれていて、こんなことを考えるのはおこがましいかもしれませんが、そう考えています。

 

いつか私の作ったおもちゃを買い求めにお店に訪れる人が出てきてくれたら、それを考えるだけでも嬉しいですね。

幼児教育メソッド2

前回の投稿に続き、

「わが家を最高の「モンテッソーリ園」にする61のメソッド」

を見ての思うことをつづっていきます。

 

おもちゃ作りを目指していることもあり、どうしても興味が湧くのがおもちゃの教育への影響となってしまいがちです。ほかの部分も読まないとなって思いますが、まずは興味のあるところから、ささっと読みました。

今回は本を読む中で、印象に残った言葉を残してみます。

 

『教具を使うことで子供が行動を起こし、積極的に活動に参加できる見込みができなければならない。教具によって、できることが増えなければならない。』

モンテッソーリは、教具と呼ぶんですね。フレーベルの恩物同様、おもちゃを通じて世界を知っていく、その基本的な考えは共通するように思えます。恩物と教具にどのような違いがあるか、今度比較してみたいものです。

 

『一般にボタンを押すだけで音楽が流れたり、絵が変わったりする玩具は、それほどおもしろくはありません。受け身だからです。』

この言葉も印象的でした。こういうおもちゃって子供のリアクションがわかりやすいから、大人は楽なんでしょうね。与えたおもちゃに食いついてくれるのは、自分(親)の選択が認められたようで嬉しいものです。それで子供が楽しんでくれていると勘違いしてしまう。実際は、ただただ驚かされて、ナニコレ!?ってなっているだけで、ほとんど発達には貢献していないのだと思います。

 

それよりも、派手さはないが落ち着いて遊べるおもちゃの方がずっと子供のためになると思います。

初めのうちは興味を示さず、そんなに好きじゃなかったかなー?と気にする時期もありますが、そのうち遊び出します。その時を気長に待つ姿勢が親として必要なのではないかと思います。

 

今年4歳になる長男が素敵な遊び方をしていました。

いつまでも、大人になっても、この素晴らしい創造力を発揮できる人のまま、育ってもらいたいものです。

砂利と線路と汽車

 

エデュコチェーンで手押し車と繋げる(ちゃんと繋がっていて、動くと引っ張られる)

積み木で作ったダンプカー

以上

 

 

幼児教育メソッド 1

おもちゃを作るにあたり、幼児教育メソッドを学ぶことはとても重要だと考えています。

子どもの発達に合ったおもちゃであり、様々な幼児教育のいいとこ取りをしたおもちゃであれば、きっと世の中に必要とされるおもちゃになるであろうと信じています。

 

あれもこれも取り入れてごちゃごちゃしたおもちゃにしたい訳ではありません。

それぞれのエッセンスをちりばめた、シンプルで美しいおもちゃが理想です。

 

私は工学を専攻してきたため、幼児教育については全くといっていいほど知識がありません。勉強のため、本を読む事にしました。

 

世界の4大幼児教育メソッドには

・フレーベル教育

モンテッソーリ教育

シュタイナー教育

・フレネ教育

なるものがあるそうです。

 

まずは、電子図書館で借りられた、モンテッソーリ教育についての本を読み始めたので、このブログに綴っていきます。

 

読んだ本はこの本

「わが家を最高の「モンテッソーリ園」にする61のメソッド」

著 キアラ・ピローディ

すばる舎

 

著者はモンテッソーリの本場、イタリアの方です。

イタリアといえば一度行ったことがありますが、あのなんとも言えない楽しそうにマイペースで仕事する感じがとても羨ましく感じる国でした。数年で良いので、暮らしてみたいものです。

 

モンテッソーリ教育を構築した、マリア・モンテッソーリさんは、「子どもには自由が必要だ」と固く信じていたそうです。

自由は生まれ持った創造力を伸ばすのに欠かせない。そして、自由から生まれる責任が規律をもたらせると。

 

自由から生まれる責任が規律をもたらす

この表現を読んで、過去を思い出しました。

 

私の高校時代に遡りますが、通っていた高校は、制服がなければ校則もなく、かなり自由な校風でした。その分、生徒一人一人の自主性の裁量に任せられるため、自律できた人の方が、大学受験にも成功していたように思います。

 

当時の友人との話のなかで印象的な言葉がありました。

「高校時代に自由の怖さを知った」

自由を与えられるだけで、自律できなければ堕落していきます。御多分に洩れず、私もそうでした。

その友人は高校2年時にそれに気づき、そこから急成長を遂げました。

今では宇宙開発に携わり、フライトディレクターとして宇宙飛行士に指示を送る、立派な人になっています。

(私の最も尊敬する友人です。高1の時は大差なかったのにと思ってしまう、ちっぽけな自分がいます)

 

自由から生まれる責任とは、何でも自由にしていいわけではないが、その境界線を引くためにも、自由に過ごすことであえて境界線を飛び出すことが必要なのだろうと感じました。

そして境界線などない創造力については、無限大に伸ばせることになるのだろうと思います。

境界線を引くためには、親の関わり方も重要です。創造力を抑制することなく、しかし境界線を理解してもらうような、そんな接し方を目指したいと思います。

 

長くなってしまったので、続きはまた次回…

子どもにとって良いおもちゃとは

幼児期の子どもって本当に素晴らしい創造力をもっている。

お子さんと接していて、そう感じることは少なくないのではないでしょうか。

 

思いもよらないことを言ったり、不思議な世界観の中で遊んだり

 

子どもにとって良いおもちゃとは何か。

それは子どもの創造力を発揮するための手助けをしてくれるおもちゃではないかと思うのです。

 

我が家で最も活躍するおもちゃ、それはチェーンリング(花はじき付き)です。

 

 

色鮮やかな小さい輪っかを幾つも連ねておく。それだけのシンプルさであるのに関わらず、それを使って遊ぶ子どもの世界が広がっていきます。

あるときはおままごとのご飯になったりジュースになったり、またあるときは瓦礫となって働く車のフィールドと化したり。

 

 

 

 

シンプルだからこそ抽象的だからこそ、何にでもなれる。それが子どもの創造力を膨らませてくれるのだと思います。

 

具象的だと、どうでしょうか。

トマト🍅、魚🐟など、形作られているおもちゃ。そのようなおもちゃは、特定のモノにしかならず、出番がくるまで待つことが多くなります。

そのため、なんにでもなれるチェーンリングで遊ぶ時間が圧倒的に多いのです。

 

なぜこのような投稿をしたかと言うと、独立起業は子どものおもちゃで考えているからです。

子どもの創造力、想像力を手助けできるようなおもちゃを作ることが、私の目標です。

はじめの一歩

ブログ、はじめました

2024年に独立起業する。そう決めています。

「自分が作ったモノを自分で売りたい」そう思ってから、試作品作りをしてきました。

ブログなら起業の準備段階で始められるし、備忘録兼ねて発信に慣れよう!ということで始めた次第です。

これまで2度の転職をしてきました。3度目の転職を試みたものの失敗しました。 これまでの経験から、どの会社も一長一短。良い面も有れば良くない面もある。自分の理想とピッタリの会社はないと感じています。

転職失敗後一念発起し、それなら自分で作るしかない!と人生の舵をきりました。

このブログでは、思うことを綴ったり、起業準備にまつわる記録など、発信していけたらと思います。